ゲームのプレイ内容を残しておきたくて、録画をしたり文章に書き起こしたりしている。
文章の場合、全体の感想ではなく、ある程度プレイ内容に沿った形で書き残す形の、「プレイログ」とか「プレイ日記」と呼ばれる類のものだ。
このサイトでは「プレイログ」という呼び名を使っていて、たまにサイト上に公開したりもしている。
それは紛れもなく趣味だと思っていたのだが、文章に起こすという性質上なかなかに時間を取られ、結構めんどくさくも感じている。
趣味だという割にはしんどさを感じているのは、変な気がする。
本当に趣味といえるのか分からなくなってきたので、考えを整理したくなった。
以下ではそのことについて書きたい。
まず、ゲームのプレイ内容をテキスト化する行為について、自分は何を求めているのか。
それを見返したときに、何が起こることを期待しているのか。
思い出に残しておく、というシンプルな理由以外に何があるだろうか。
一つ思ったのは、記憶を引っ張り出すとっかかりが欲しいんだと思う。そのためにトリガーになるものを抽出している。
(日記ってそういうものだよ、という気もする。まあ、メモっておく類の行為は、全部そうか……)
その結果、どういうことをしてるかというと、録画ファイルを見ながらプレイ中に感じたことをなるべく詳細に書き出している。加えて、後で見返した時に思い出しやすいように、ゲーム内での出来事や流れ上関連する部分も一緒に書いている。
本だと「付箋を貼って所感を書き出す」行為にあたるだろうか。
ゲームの場合だと、付箋は貼れない。近しい行為としては、キャプチャを撮っておくことだ。
でもゲームって一時停止できる状況ばかりじゃなく、「あっ」と思ったときにはもう遅く、キャプチャを撮り逃すことも多い。
ゲームに集中したいから、キャプチャを撮るためにいくらか意識を割くのも、できればしたくない。
それから、あくまで自分の場合はだが、「この部分の作りがどうだ」とか理屈があることの他、操作の手触りや感覚的なことまで、プレイ中に頭をよぎったことはなるべく細かく残したい。
だから録画して、文章にしている。
ここで言いたいのは、動画にしても文章にしてもあくまで手段であるということだ。
「記憶を引っ張り出すとっかかり」になるなら、どういう形であれ構わないと思っている。
後から見返したとき、「この時こう感じてたな」と呼び起こせるものになっていてほしいだけなのだ。1
そう考えると、自分にとってプレイログを書くという行為は、趣味とはちょっと性質が異なるのでは、と思った。
今までは、ゲームをするのもそれについてのプレイログを書くのも、同じくらいの立ち位置でどちらも趣味だと捉えていた。
ゲームをやるのは楽しい。好きでやってるし、やっている間(大抵)ずっと楽しい。何に時間をかけたいかと考えた時、ゲームは最上位に来る。これは趣味といっていい。
しかし「プレイログを書く」のはちょっと違う。「ゲームのプレイ内容をテキスト化する行為」そのものが楽しくてやっているわけではない。出来上がったものを読むのは好きだが、書いている間は時間を取られるのが結構つらい。
でも、趣味って時間をかけるものなんじゃないかと思う。その意味で、ちょっとごっちゃになってたなと気付いた。
「記録したい」という目的がまずあって、そのための手段の一つだと分けて考えた方が良い。
田中泰延という人が、趣味の定義として「手段が目的にすりかわったこと」だと本で書いていた。
その定義だと、自分にとって「プレイログを書く」ことは、あんまりすりかわってない。だいぶ手段だ。
とはいえ、やってる間ずっと楽しいと思えることだけを趣味とするのも乱暴だ。
全部の工程をもれなく好きになれなくても、それは自然なことだろう。
過程の中に「今のところそうするしかないからそうしてる」部分が存在するだけの話だ。
だから、自分にとってプレイログを書く行為は、総合的に言うと趣味ではあるけど、手段でもある。言い方次第だけど、矛盾しないように思う。
ここまで考えて、「溜まった録画ファイルによるストレージの圧迫」とか、「書き出すのに時間がかかること」とか、具体的な問題は一切解決してないけど、プレイログを書くことについての輪郭はちょっとはっきりした気がする。
誰に言われるでもなく自分からやっておいて、しんどさを感じながらやるというのはどういうことだろう、俺は何を勝手にしんどくなってるんだと常々思っていたから、趣味と手段について分けて考えようと思い至ったのは自分にとっては収穫だった。
今後、自分が何をやってるのか分からなくなったときに、趣味なのか手段なのかはちゃんと整理して考えたいと思う。

